あなたの日常は、誰かにとってはギフトかもしれない。

私の頭上をゴーっという音を立てて飛行機が飛んでいった。
このように書くとまるで外に寝転び、空を眺めているようだけれど、私は人間をだめにするクッションに寝転び、坂口恭平さんの「生きるための事務」という本の127ページに指を挟み、天井の木目を眺めている。
人間をだめにするクッションは、人間と犬がのりすぎて、中のビーンズがクタクタになり随分とお疲れの様子だ。人間がクッションをだめにしてしまっている。

天井を2枚超え、高いビルも超え、鳥に見上げられながら空港を目指している飛行機の音を聞くのは、私にとっては当たり前の日常。
ある時パイロットをめざしていた男性がスタジオに訪れた際に、飛行機がこんなに近くに見えることにとても興奮していた。そそくさとスマホを取り出し、写真を何枚もとっていた。
私にとっての日常が、彼にとってはギフトである。彼が毎日ここにいたら、ギフトではなくなるのだろうか。

インドに居たときに、ヒマラヤのラダックというところに学校の友人達とトレッキングに行った。トレッキングは全くの初めて。道具も何も持っておらず、羽毛ではなく綿の寝袋を借りて、すごく良いからと勧められたオールスターのような靴を買って挑んだ。
標高4000m以上のところでテントに寝るのに、綿の寝袋は寒すぎた。一緒のテントに居た友人は高山病にかかり、先生のテントに移動。先生のテントにいたイケメンの友人は行き場を失い、私のテントで寝ることに。
緊張して寝れないかもしれないとハラハラしながら、爆睡した私。そして7日間歩きっぱなしで、私の足はまめだらけ。だって靴がひどいのだもの。私はこの靴ホントに大丈夫か?と買う時に懐疑心が漂っていたのだが、ビンゴよ、ビンゴ。足が痛む度に、靴を勧めてくれた人の顔を思い出す。

そんな困難もあったが、ラダックにはその辛さをかき消してしまうほどの絶景で溢れていた。
その中でも「天国に一番近い湖」と言われているパンゴン湖は息をのむほどの美しさ。みんな何も話さずにただただその景色を眺めていた。
そして、横では現地の人達が談笑している。現地の人にとっては、私にとっての飛行機のように当たり前の光景なのだ。私はもしここに生まれて、長年住んでいたら、ここにずっといたいと思うのだろうか。もっと刺激がたくさんあるところに行きたいと願うのだろうか、など考えていた。

クリシュナムルティの本に、
「人と会う時は、その人にあたかも初めて会うかのように、毎回新鮮に接しなさい。」
というようなことを確か書いてあった。飛行機の音をあたかも初めて聞くかのように聞けたら、まるで毎日がパーティーかもしれない。

私の父は、いつもケーキを買ってきたら「お?どこのケーキね?」と聞いていた。いつも同じケーキ屋さんで買ってきていたのに。毎回新鮮。
本日は父の命日でケーキを買ってきた。「お?どこのケーキね?」と聞こえてきそう。
4年前の今日から比べたら、笑って過ごせる今日はとんでもないギフト。

2025-03-04 | Posted in BlogComments Closed 

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