今ここにいるということは。

「Be here now(今ここにいなさい)」というのは、
「今ここにいて、そして不快であってもいい」ということなんだ、と。
自分の快・不快や心地よさをコントロールできなくてもいい、ということ。
ただ、その瞬間にやってくるものを受け入れるということです。

Anna Lembke

私は父が亡くなった時に、「心に大きな穴が空いた」と感じました。
小さな穴や、大きな穴が私にはある。
でもその穴を必死に埋めようとせずに、その穴はそのままにして、できることをしようと。
そう感じたのを覚えています。

Podcast番組「The Daily of A CEO」で、アメリカの精神科医のAnna Lembke博士がドーパミンについてお話しされていました。その中で出てきたご自身の経験談や考え方を聞いて、心が晴れる話ではないのに、スーッと優しい風が心に流れました。

初盆を迎えている人もいるかもしれない。
ポジティブになんか考えられない人もいるかもしれない。
そういう方の何かのきっかけになればと思い、シェアさせて頂きます。

Dopamine Expert: Doing This Once A Day Fixes Your Dopamine! What Alcohol Is Doing To Your Brain!

たぶん問題の一部は、私たちの生活が今ではほとんど「報酬」を中心に組み立てられていることだと思います。
ほとんどすべての行動が、「その先にある気持ちいい瞬間」を前提にしていて、そのせいで私たちは“過程”を逃してしまっている。
私たちの心は未来の報酬へと投影されてしまっていて、今この瞬間に本当にいることができないんです。

「Be here now(今ここにいなさい)」というのは、
「今ここにいて、そして不快であってもいい」ということなんだ、と。
自分の快・不快や心地よさをコントロールできなくてもいい、ということ。
ただ、その瞬間にやってくるものを受け入れるということです。

これは大きな転換だと思います。
つまり、私はもう自分の経験をコントロールしようとしない。
不幸せだったり、落ち着かなかったり、不快であっても、それから逃げずに、ただそれを正面から受け止めて抱きしめる。
そしてこれは多分、普遍的なことだと思います。

さらに大事なのは、報酬を期待しないこと。
そうすることで私は今にいられるんです。
「この先にいいことが待っている」と待ち構えるのではなく、
「この後には何もいいことはないかもしれない、何も来ない」と自分に言い聞かせる。
これがすべてなんだ、と。

そして、「もし今が特別に良くなくても、それでいい」と思える。
不幸せでも、落ち着かなくても、不安でも、それを受け入れられる。
そうすると不思議なことが起こります。
急に不安が薄れて、今この瞬間に存在できるようになる。
そしてそこには喜びさえ見えてくる。

現代文化が煽っているのは、「私たちは常に幸せであるべき」という期待です。
人生をきちんと整えて、努力して、正しい方向を目指せば、「人生は素晴らしい」となるはずだ、という考え。
でも私はもうそうは信じません。
仏陀が言ったように、「人生は苦」であり、根本的には、生きていることは不快で、絶え間ない落ち着かなさと不快感の状態だと思います。
本当に正直に自分を見つめ、感じてみると、急にその一部から解放されるんです。

――あなたは人生を通して不安を感じてきたとおっしゃいましたが、それを理解し、自分をよりよく理解するきっかけとなった出来事とは何ですか?

私にとって大きな転機は…私たちは子どもを亡くしたことでした。
そして、その直後は、なんとかその経験を「なかったこと」にしようと必死でした。
十分な心理療法を受けたり、とにかく必要なことを全部やって、この痛みを感じなくしようとしたんです。

でも、あるときふと気づいたんです。
「ああ、この痛みは一生消えないんだ」と。
その瞬間、逆に少しだけ痛みから解放されたような感覚がありました。
私にとって、それは本当に大きな気づきの窓でした。

――つまり、それは「受け入れ」なんですね。

そうです。そして、私が依存症の患者さんを治療することが好きな理由の一つもそこにあります。
彼らが「どん底」に落ちる瞬間、つまり、自分の行動をなんとかコントロールして人生を良くしようとするほど、かえって状況を悪化させてしまう、あの瞬間に、私はとても共感できるんです。
私もまったく同じような経験をしました。

そして、「ああ、私はこの痛みから逃げられないんだ」ということを受け入れたとき、やっと少しだけ救いのようなものが見え始めたんです。

――痛みから逃げられない…。人間って、痛みから逃げようとする性質が自然に備わっていますよね。

そう、それが皮肉なんです。私たちは本能的に快楽を求め、痛みを避けようとします。
でも実は、その行動こそが、私たちが本当に望む場所へたどり着けない原因になってしまうんです。

ーーそして現代は、痛みから逃れる方法があまりにも簡単に手に入る世界になっています。
かつては「ライオンに追われている」ような差し迫った状況でしか発動しなかった本能が、今では例えば「嫌なメールを受け取った」というだけでも発動します。
そして私はブラウザのタブを開いて延々とSNSをスクロールしたり、動画を見たり、ゲームをしたり、ポルノを見たり…いくらでも気をそらす方法がある。

まさにそうですね。私たちには、自分の苦しみや内面から意識をそらす方法が無数にあります。

――では今、あなたはその悲しみや痛みとどのように向き合っていますか?

そうですね…今では、その経験は私の人生において大きな「贈り物」になったと感じています。
それによって、私の人生は深く形作られ、そしてあの経験から学んだことは、他のどんな方法でも学べなかっただろうと思います。

2025-11-02 | Posted in BlogComments Closed 

関連記事