ダレンのプロフィール

ダレンのワークショップの
早期割の締め切りまで残り3日となりました


今回の2日間のアーサナインテンシブでは
ヨガアワーのシラバス以外の
難易度の高いポーズにもチャレンジするそうです
お楽しみに

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今日は2年前に一度アップした
ダレンのプロフィールの投稿です
手抜きではないです


面白いので
お暇な方は読んでみてください


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タラレバの力。

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22は魔法の数字。
22歳の時ハタヨガの練習に出会い、目的がなかった僕に目的をもたせてくれた。


22歳:就職の時期。ここでの問題:就職広告欄に書いてあることを僕はしたくないし、同じように雇う側も僕をいらない。
最初の仕事は長く続かなかった。場所はヘルスケアのお店で、シフトは朝の6:15。そして僕は夜型人間。ある日体調がよくなかった。この時は、携帯もメールもなく、連絡のとりようがない。そこで店のドアに、カンガルーの絵を描いた紙を貼り付けて、「カンガルーになる手術を受けます。ジャンプしながら急いでERに向かってます。もし人間にもどることがあったら、戻ってきます」とメモ書きを残した。
                           

将来に対して不安を持っていた僕に、叔母は聞いた。「理想の仕事ってどんなもの?」僕の答えは:オフィスでの仕事は無理、決まった時間の仕事も嫌。仕事内容は常に変わるもので、仲間と一緒にするものがいい。叔母は笑いながら「それじゃアーティストになりたいみたいね」と。アーティストの案は良いと思ったけど、アーティストになれる素材がなかった。
                               

僕の母は、僕がお腹の中にいる時からずっとヨガの練習をしている。この時期、母は僕に「きっとDarrenは、好きだと思う」と言って、リチャードフリーマンのプライマリーシリーズのカセットをくれた。母は正しく、僕は練習の虜になった。
                               

その当時彼女だった Bronwinと僕(今は結婚して17年になる)は、フィラデルフィアからツーソンに移り住む前に、母が B.K.S. Iyengarのハタヨガの真髄をくれた。初めて見るこの本にかなりの衝撃を受けて、この本のポーズを全部いつか出来るようになると誓ったのを、今でもはっきりと覚えている。ほんの少しだけ出来ると思える理由があった。ひらめいた時には理由なんていらない。そんな風にハッとする瞬間は、大抵やるべきことのお知らせだと思う。これは無料で、しかも上手くいくようになっている。 Winston Churchillの有名な格言「1%のひらめきと、99%の汗(努力)」。これは本当に正しい方式で、もし1%あったら、99%は勝手についてくるし、さらに言うならやり遂げるまで追いかけてくる。そしてたとえ自分が忘れてしまったとしても、心配ご無用。彼らは忘れない。

                                        
25歳の時、ツーソンにあるthe local Parksと、Recreation Centerで週に2回ハタヨガのクラスを教えることになった。僕を雇ってくれたRonniは、「あなたのスタイルは、私たちの顧客には強度が強すぎるみたい、、、けど、今本当に困ってるから、雇うわ」と言った。この時のちょっと信じられないことは、なんと僕は一度もヨガのクラスに行ったことがなかったということ!
                                 

27歳のとき、YogaOasisのオーナーになった。妻と僕は、 Rachel King (Bronwinの妹)にツーソンに移住して、マネージャーになるように頼んだ(この決断は、僕たちが今まで出した中で一番素晴らしいものの1つ)。17年間YogaOasisは、家族運営で、コミュニティの力で成り立っている。というわけで、今は叔母に説明したとおりのキャリアを持っている。(叔母の質問そのものが、は、教え。もし誰かにとって必要なタイミングで、必要な質問をしたら、その質問はその人の探求に変わる)。
                             

36歳のとき、義理の兄のMiloと、友人のRoss(Xtracycleの創始者)と色々空想していた。Miloは、僕がハタヨガの真髄に出てくる全てのポーズをとるのを記録に残したいと言い出し、「明日始めよう」と。さらにRossは、その過程をビデオに撮りたいと言い出したので、僕は出来る限りポーズからポーズに切れ目なく動かないといけなくなった。Miloが全部のポーズの写真を撮った。
                            

僕はやってみることにした。撮影は2日間、1日9時間づつ行った。僕たちは最終的にこの写真がポスターにできることに気がついた。そしてこのプロジェクトによって、必然的に僕はハタヨガの真髄に出てくる全てのポーズをとることになった。空想が現実に。
                           

それからの6ヶ月間は、1日3時間の練習を週5日、まだ出来なかったポーズの練習に打ち込んだ。後屈の練習をしたら、次の日には前屈を。そんな風にして練習のバランスをとっていった。6ヶ月間の過酷な練習の後、最後の写真を取り終えた。そしてMiloはポスター作りに取り掛かった(かなり大変な作業)。
                        

2006年、ポスターが完成した。最初のポスターの名前は、『From Tadasana to Savasana』というもので、その後もっと呼びやすいように『Penchant for Practice』という名前に変えた。
                             

ポスターは各地に広まったが、次は本が欲しいという要望が出てきた。なんとインストラクション付の。というわけで、アサナについて明確に成らざるを得なくなった。その当時の僕のインストラクションは、とにかくまとまりがなかった。この機会にポーズの入り方や、出方などを詳しく書くことで、自分の教え方を変えられることを実感。なのでこの課題を受け入れた。
                             

それから毎日2〜3時間書き続け、3ヶ月後にやっと原稿が完成。このときにやっとこのプロジェクトが面白くなってきた。この作業で、長ったらしかったインストラクションを、スートラのように簡潔なものに変えることが出来た。インストラクションは、Shape・Safety・Refinementという3つのカテゴリーに分けた。カテゴリー分けによって、練習するのも、教えるのも行いやすくなるのが分かっていたから。
                        

今は45歳。最初にハタヨガの真髄に出てくるポーズを全て行なうと決めた時から23年が過ぎ、Miloと僕はYoga Resource Practice Manualという本を発売した。今、ハタヨガの真髄に似た感じのこの本を手にしているのは、夢のようだ。
厚かましいかもしれないけど、みんなに言いたいことがある。もし自分では絶対に不可能だと思うようなことを、一瞬でもひらめいたら、自分に聞いてみて欲しい。もしやってみたら?何が起こる?どんな旅が待っている?とにかくやってみるしかない。

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2019-07-29 | Posted in Blog, イベント, ワークショップComments Closed 

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