ヨガスートラのような言葉で。

yogahourを指導する際に大切な事は、
的確なアライメント指示を、
いかに端的な言葉で伝えるか。
Darrenはそれを『sutra-like vernacular(スートラのような言葉)』と表現します。

ヨガスートラはパタンジャリによって書かれた根本経典です。
スートラとは糸という意味で、
糸のようにパタンジャリが説いた短い言葉を連ねたもの。
それが文字となり、経典となり、その教えを今私達も学ぶことが出来ますが、
当初は口頭伝承でした。
師のそばに座って、話を聞いて、覚える。
頭の中に全部入れて常に持ち運び可能なために、
必要最小限の言葉で教えが説かれています。

そのスートラのようなアライメント指示を出すというわけです。
というわけで、
その直球なアライメント指示を、
曖昧な表現の多い日本語に訳すことの難しさに大ヒット中の私です(笑)

私は翻訳とかしたことないので、
毎朝不確かで曖昧なところにずっと座っている感じです。
同じ文章を次の日に読むと違って見えたりします。

でもその曖昧な時間にずっといると、何かちょっと見えてきたりして。
その時間にいることが、今の私にとって、必要な事なのかなぁと思います。

曖昧いで、不確かなものの中に確かな何かがあるのかなぁと。

というわけで、とりあえず朝活ばーちゃん生活続けてます(笑)

それにしても日本語って奥行きがあって素敵ですね。
日本語+博多弁=いい女♡
なんてね♡(笑)

写真
禅寺+くつろぐ=怒られる博多女子。
これ本当♡


2015-05-26 | Posted in BlogComments Closed 

関連記事